母が、私と妹に昔から言っていた言葉があります。
「あなたたちを凡人に産んでしまったお母さんだけど、
あなたたちの才能は、努力を才能に変えられることよ?」
私はずっと意味がわかりませんでした。
「努力を才能に?『努力できることが才能』ではなく?どういうこと?」
昔から、私はとても不器用なタイプでした。
でも、人からそう思われることは少なかったと思います。
なんとなく、全部こなしているように見える。
いや、こなしているように見せたかった・・・
実際は、何かを並行して器用にすることはできず、一つのことに没頭するタイプで、スピードも決して速くありません。
そもそも、歯学部に入学するまで、11回も大学を受験するなんて、器用な人なら絶対にしません(笑)
6年前に歯科医師となり、そこから1年の研修医生活が終わり、私は関東の歯科医院に就職しました。
大学時代の実習と研修医生活が厳しかったので、
正直、「自分はある程度はできるのでは・・・」と思っていました。
ところが、現実は甘くない。
次から次に来る患者さん。
時間に追われ、全く手が動きませんでした。
引き出しも少ないので、診断力も足りない。
結局他の先生がやることに・・・
医療職はどれもそうだと思いますが、必ず、ステップ毎に先輩のチェックが入ります。
そこでOKが出ないと決して任せてはもらえません。
歯を削るということは、
練習なしでできることではありません。
そして、そのその精度にも限界はありません。
歯科の単位はマイクロ。1ミリの千分の1です。
被せものがきれいに入るには・・・
神経の治療を綺麗にするには・・・
詰め物を綺麗に入れるには・・・
歯科とは外科医学であり、そして感覚的な、職人の仕事でもあると思います。
何にもできない・・・
就職してから毎朝、休日も行き、練習しました。
「うまくなりたい。」
という気持ちよりも、
「もうダメだしされたくない。認められたい。」
という気持ちが大きかったと思います。
「こんなこともできないのか?何も任せられないよ。」
毎日こんなダメ出しばかりでした。
院長なりの愛情だったのだと思いますが、
全てが緊張の日々・・・
「早く慣れてしまいたい。」
その思いでいっぱいでした。
自分ができる、うまい、才能があるなんて、そんなこと思えるはずがありません。
そんな日々を繰り返し、3年がたちました。
その頃は、途中で先輩の介入がなくても、一通り任せてもらえるようになっていました。
そのタイミングで、私はご縁があり、別のクリニックに転院しました。
そのクリニックは、歯の審美、形成に特に力を入れており、技工士さんの要求する精度の形成ができない医師は、歯の形成を禁止するという医院でした。
その一方で、技工士さんの評価を得られれば、デジタルスキャンの機械も自由に使えるようになるという決まりのある医院でした。
入社してすぐ、色々な先生やスタッフから、
「形成は大丈夫?」ということを聞かれ、
これは相当厳しいのでは・・・と思いました。
久々に、空き時間に練習する日々が始まりました。
今までの医院で使用していたものとは材料も装置も違うし、
自信なんて全くありませんでした。
でも、自分が処置する患者さんには、100%満足してほしい。
その思いはありました。
入社して半年くらいたった時です。
医療法人なので、分院と本院のメンバーが集まる食事会がありました。
私は分院勤務なので、普段は院長と2人です。
そこで久しぶりに本院の先生方と話しました。
その時、本院の先生方から言われた言葉があります。
「先生の形成がきれいだと皆言っている。先生は本当にセンスがありますね。」
「技工士も、先生は器用だなと思って見ています。」
かなり驚きました。
自分にセンスがあると思ったこともなければ、器用だと思ったこともありません。
でも、自分より経験値が高い先生方にそう言っていただける・・・。
また、ちゃんとそういうことを見て伝えて下さる・・・。
そのことに、感謝と嬉しさと色々な感情がこみ上げました。
それから他の機会でも、
「センスがある。」「形成きれいですね。」
と言われることが増え、3年前は考えられなかったような言葉をかけていただくようになりました。
そこで、やっと初めて、母の言葉の意味が分かりました。
「努力を才能に変えられる。」
正直、今も絶対はありません。
医療人は完璧が当たり前・・・
それでも、振り返るといつも、「もう少しこうできたかも・・・」と思えてきます。
それを発見できることも一つのセンスなのかも・・・?
そう思ったりもします。
「努力を才能に変えられる。」
それには、少し自信を持てるようになったかな・・・?