1%の違和感

私は、歯学部編入を目指すと決めてから、まず予備校探しをはじめました。

しかし、なかなか見つからず、最後にやっと見つけた予備校で素晴らしい先生に恵まれ、合格することができました。

予備校に通っていなければ、間違いなく合格はできなかったでしょう。

予備校探しはなかなか一筋縄ではいかなかったので、それについて以前書き留めておいた記事があります。

文章を書いたのは8年前なので、そこから5年前というと・・・

今から13年前ですね。

こわっ・・・

今となっては覚えていないことも多いのと、この記事が好評だったので、当時書いたものを載せますね^^

若いなあ~・・・笑

 

1%の違和感

ちょうど5年前の今頃の季節、私は歯学部の編入学を目指そうと決め、予備校を探していました。
大学3年の時のことです。

編入を目指すためにまず予備校を探そうと思った理由は簡単で、国立歯学部編入学試験の倍率は高く、今まで散々受験に失敗してきた私にとって、一人で勉強して合格する自信なんて全くなかったからです。

インターネットで検索して、編入対策をしている予備校を見つけては、電話やメールで問い合わせました。

しかし、「医学部編入」の対策をしている予備校はあっても、「歯学部編入」の対策をしているところは見つかりませんでした。
予備校側としては一人でも多く生徒を確保したいのは当然で、
「医療系の小論文という点は同じなので・・・」とか、
「医学部の編入対策でカバーできると思います」など、どの予備校からも似たようなことを言われました。

確かに、医療系の小論文ですし、対策としては似てくるのかもしれません。
でも、「医学部」ではなく「歯学部」に行きたいと思っていた私にとっては、どうしても納得できない部分がありました。

色々な予備校をあたってみて、東京都内の、とある編入対策の予備校で担当者の方と面談をし、「もうここしかないのかな・・」と決めかけていた時、
メールで問い合わせた予備校の中で、1件だけ返信が来ていないことに気づきました。

「メールの返信も返さないような予備校ならそこまで」と見切りをつけてしまってもおかしくありませんが、その時の私は、そのまま今決めかけている予備校に通うことに、何か違和感のようなものを感じていました。

その「違和感」は本当にごくごく小さなもので、容易に無視して進めてしまうくらいのものでした。
でも・・・何か引っかかるものがありました。

できれば後悔はしたくない・・・でも・・・なんかだるいな~・・・
今座っているベッドから電話番号を検索するためのパソコンまでの距離はたったの2メートル。
だったらとりあえず、腰を上げて2メートル進んでみれば・・・・
メールの返信もないような予備校なら、電話してもつながらないかもしれないし・・・

そんな気持ちで、私は重い腰を上げて、その予備校に電話しました。

予想とは裏腹に(?)、電話してすぐに事務の女性が応対して下さいました。

私が「メールをしたが返事が返ってきてない・・」という旨を伝えると、
「もしかしてポテチさんですか?」と言われました。

実は、何度も私のアドレスにメールを返信したが、送信エラーになってしまい、どうしても連絡を取れなかったというのです。
送信エラーになった経緯などを聞き、私は納得しました。

「お電話してくださって本当に良かったです!」
と、事務の女性は安堵したように言ってくださいました。

そこから私はその予備校の詳しい内容を伺いました。
国立の歯学部編入試験に毎年合格者を出していること、
大阪にある校舎まで、北海道や九州からも生徒さんが通っていること、
あまり多くの回数通えない生徒さんにも宿題の内容を充実させるなど、できる限りのサポートをすること、などでした。

私はその話を聞き、一気に気持ちが高ぶりました。

ここに通えば合格できるかもしれない・・・!!

しかし・・・・・・
大きな問題がありました。

授業料です・・・

最後に授業料を聞き、私は愕然としてしまいました・・・

どう考えても・・・どう考えてもそれは無理でしょ・・・

一気に気持ちが落ち込みました。

そんな私を察してか、事務の女性が、

「回数が通えなくても、できる限りのサポートはします。是非一度、先生と面談だけでもしてみてください。お電話だけでも。是非。」

と、推してきました。

結局、予備校側から模擬試験のようなものをメールで送ってもらい、
私の解答を先生が見た後、今後の方向性などを大まかに電話でお話しする。
それを聞いてみてから実際に通うかどうか考える・・・ということになりました。

さっそく、予備校から送られてきた問題を解いてみました。
試行錯誤し、3日くらい内容を考えて提出したと思います。
昔から文章を書くことが好きだった私は、いくら試験に自信がないとはいえ、
まあまあ書けている方だろうと思っていました。

しかし、数日後、電話をいただいた先生から返ってきたのは、全く見当違いの言葉でした。

「ん~・・・・、これは相当・・・そうですね・・・相当、かなり頑張っていただかないといけなくなりそうです・・・」

今となっては、あの時自分の書いたものではそう言われて当然だと納得できます・・・。
むしろ、一抹でありながら、そんな自信をよく抱けていたものだなと感心すらしてしまいます。

でも当時の私は何がそこまでいけないのか、そんなにも合格から遠いものなのか、まったくわからずにいました。

先生から、予備校で学ぶ内容、今後の授業計画などを聞き、「これは通わなければ身につかない」
と納得しました。

それと同時に、「ここに通えば、私でも合格できるかもしれない・・・!」と、初めて思えました。

国立歯学部に合格するにはここに通うしかない。

そう決意し、母に相談して通うことになりました。

さすがの母も、最初は「本当に大丈夫なの?」と、口には出さなくても不安の色がいっぱいでしたが、実際に通ってからの先生の応対や、アドバイス、勉強内容を話す内に、授業料に関しても納得してくれたと思います。

第一回の授業(というか、イントロダクション・先生との対面)は大阪まで行きました。

てっきりそのままずっと東京から大阪まで通うことになると思っていましたが、その1か月後に東京校が開校することになり、幸運にも交通費はほとんどかからずに通えるようになりました。

12月19日が記念すべき東京校での第1回の授業だったことは、今でも覚えています。

そこから3月くらいまでは月1回のペースで、そこからやはり足りないと思い月2回に増やし、試験直前は毎週通っていました。

授業料は、週1くらいで入っているバイト代、奨学金、母の援助、今までお祝いごとなどで親戚からもらってきたお金・・・を合わせて賄いました。

結局、最終的に持っているものはほぼ全部投資したと思います。

もっとバイトできればよかったのかもしれませんが、医療系の大学に通っていた私には、週1くらいが限界でした。

正直、投資する際に迷いがなかったわけではありません。
服とか遊ぶお金にまわしたいという気持ちもありました・・・・

また、予備校に通いつつも、放送大学にも通うことになりました。

その理由は、試験を受けるにあたって、取得単位を指定している大学もいくつかあり、私は大学のカリキュラム上、体育や文系科目の単位が足りませんでした。
そこで、放送大学で足りない単位を4科目ほど補いました。(その詳細も後に少し書きたいと思います)

こうして、普段の大学の授業(今思えば、当時は臨床実習中でした・・)、アルバイト、放送大学、予備校での編入の勉強という、私の歯学部編入試験への忙しい日々は始まりました。

(ここまで書いてみて、まさかこんなに長くなるとは思いませんでした。
ここまで読んで下さった方、本当にありがとうございます。)

今思えば、予備校を決める時に感じた99%の納得と1%の違和感が、私の分かれ道だったと思います。

あの時、頭の片隅にある1%の違和感を無視して、パソコンまでのわずか2メートルの距離をもし進んでいなかったなら、今、私がここにいることはなかったでしょう。

単に「後悔したくない」という気持ちが強かったからなのか、それとも運命だったのか、天のお導きだったのか、その全ての相互作用の結果なのか、今となってはわかりませんが、

あのとき感じた1%の違和感は、今も感覚的に、私の記憶に残っています。