小論文の書き方 例文その2「脳死と臓器移植」(暗記もおすすめ!)

昔、受験生時代(編入なので大学3年・・21歳!!若い!!)に書いた小論文シリーズ第2弾です。

今回は、「脳死と臓器移植」についてです。

これはもう鉄板のテーマですよね・・・。

鉄板過ぎて逆に小論文試験に出題されないのではなかいと思ってしまうほどです・・・^^;

ちなみに、今回掲載するのは、「日本人の死生観と臓器移植について」という、ちょっと変化球な問いに対する例文(800字)になります。

この「脳死と臓器移植」やほかの小論文のテーマでも言えることですが、

大切なことは、「賛否を問われているわけではない」ということです。

もちろん問題に「賛否を示し・・・」と記載があったら、どちらかの立場を明確にすべきですが、

そうでない場合、内容は自由です。

大切なのは、自分がこの問題を「どう捉えているか」ということを示すことです。

(小論文はとにかく客観的な視点のみ書いていくもので、自分の感情は入れてはいけません!)

しかし、「脳死と臓器移植」は鉄板のテーマではありますが、とても難しいです。

何が正解なのか、誰もわかりません。

だからこそ、今の自分の視点を自由に示すことができる課題なのかもしれません。

以下、こんな感じという参考になれば幸いです。

また、「初心者が最速で文章力を上げる方法」にも書きましたが、もしいいと思ったら暗記してしまうのもおすすめです!^^

問 日本人の死生観と臓器移植についてあなたの考えを800字で述べよ。

 日本人は死をプロセスだと考える傾向がある。つまり、死は時間をかけ段階的に進んでいくものだと認識しているということである。それ故日本人は、他者の死を受容するまでに時間がかかると言われている。また、その死が誰の死なのか、即ち、一人称の死、二人称の死、三人称の死のどれに当てはまるかによって、死を受容するまでの時間は異なる。

 人々が脳死と臓器移植というテーマに直面するときは通常、“突然“であることが多い。脳死状態は極めて客観的な指標に基づき、突如宣告され、そこから臓器移植までの時間には制限が生まれる。そのため、人々はたとえそれが二人称の死であっても、早急に死を受容することを迫られる。つまりそれは、日本人の死生観とは対極の位置にあると言える。

 このような状況下でも、日本人が冷静に後悔のない選択をするためには、一体何が必要なのだろうか。もはや遺伝子に組み込まれたとも言える日本人の死生観を根本から変えることは非常に困難である。そのため、日本人の死生観に合った形でこの問題を捉えなおすこと、即ち、予めこの問題について考える機会を設け、日本人一人一人が自分なりの死生観を持っておくことが必要だと考える。

 現在のシステムでは、脳死判定後、患者の家族の意思によって、移植コーディネーターによる臓器提供の説明がなされる。しかしそれでは、死の受容の段階によっては、説明を受けることすら困難になる場合もあるだろう。それ故、予めこの状況下における一連の流れを学び、ある程度の意思を固めておくことで、様々な選択に際しての客観性を事前に得ておくことができると考える。

 例えば、脳死と臓器移植という現実に直面した際の一連の流れを学ぶ機会を、義務教育や成長過程のいずれかの段階で組み込むことなどが考えられる。その上で、「わからない」も含めたそれぞれの死生観を涵養していくことが大切だと考える。

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